汚部屋の住民
8月になり1年の折り返し地点がとっくにすぎました。
あれ、昨日クリスマスパーティーして寿司屋で酒盛りしたんじゃないっけ…と思うリミです。
歳を重ねるごとに1年があっという間すぎて怖い怖い…もう少しで30歳です。
実は、わたしは部屋の片づけがものすごく苦手な人間だ。
部屋が汚い人は主に2パターン別れると思うが(有機系ゴミ・無機系ゴミ)わたしは後者の無機系ゴミがあふれるタイプ。
主に、書籍・CDが多く社会人になってからは衝動買いして読まない・聴かない本が多数…
某古本屋に持っていく荷物を見ながら…
「これでアマソナ買えたわ!!!バロン買えたかもしれないわ!!むしろボリード変えたかも!いや、バイザヤードぉぉぉぉぉぉぉっ!マチュピチュ!スフィンクス!スペイン!ウユニのどこかいけたぁぁぁぁ!」
と果てしなく後悔…orz
ちなみに最近はCDを買うならすごく好きなアーティストのアルバムに的を絞り、シングルはアイチューンでダウンロード派になりました。
TUTAYAの10枚1000円の日は素晴らしいです。
昔はジャケットとDVDの内容が違う形態のシングルは全種買いしていたわ…
「A●Bの握手や選挙券のためにCDいっぱい買うオタクキモwww」
と言っていたが…
わたしも同類www
あと、本が同じ内容が多い…
幸せになれる・お金持ちになれる・夫を金持ちにする・引き寄せ方・マナー・ダイエット…
わたしは思う…
この手の本を多数持っている人間は持っているだけで満足するタイプの人間だ!と。
よく成功者の本を持っている人間は成功しないと書かれていることがあるが、きっとその手の人は持っている自分に満足しているから成長しようとする人はごくわずかだ。
厳選した本を少し持ち、それを何度も見直し実践している人は、きっと自分が目指すライフスタイルに着実に近づけている。
しかし、無作為に買ってそれだけで満足してしまえば、使われずに死んだ物の不の気があふれ出し、それらからくる悪循環から出費が増え、幸せになれない自分の不幸さに嘆き、幸せになろうとさらに結局読まない本や使わない開運グッズなどに手を出してゆく…
そして現状を維持したままでいると、二人で近所の風呂屋に行って一緒に出ようと約束したがいくら待っても彼は来ず帰宅すると、待ってもくれず先に帰った男が冷え切った5畳半の1R(風呂・トイレなし)でダウンコート着て待っているるような、神田川も真っ青になるような生活をする運命が押し寄せてくるのかもしれないのだ。
同じ汚部屋でも有機系ゴミであふれている人のほうが潔く捨てることができるからすぐにきれいにできると思う。
汚部屋のビフォー・アフターのサイトを見ても、有機系ゴミであふれた汚部屋の住民は半日ほどで部屋が片付いていることが多い気がする。
逆にわたしと同属の無機系ゴミが部屋にあふれる人間は、何時間経ってもなかなか部屋が片付かない。
無機系ゴミであふれる人は様々な欲と決別し改めて自分を見つめなおさなければきっときれいにならない。
天変地異が起きてもきっと部屋の物を探すだろう。
物を大切にすることは大事だと思うが、使わないものはもう役目を終えている。
様々な本に書かれている通り感謝の気持ちをこめ捨てて、また新たな命としてよみがえることを願ったほうがいいのではと思える。
毎日コツコツ少しでいいから部屋をきれいにしていこう。
部屋は心を表すというが、部屋をなりたい自分をイメージしてきれいにしてインテリアもコーディネートしていけば、きっとなりたい自分になれるのかもしれない。
ボロ雑巾の人生になってもいいのならどうぞ汚部屋にいればいい。
しかしシルクのドレスを着れるような人生にしたいのなら、まずは床に散乱している本を本棚にしまうところからはじめよう。
その一歩が美部屋へのはじまりなのだから。
お・は・しの法則を壊す女
数年前に存在を知り、ときたまブログを見たり面白いなと思った内容の本はなるべく手に取るようにするゴマブッ子さん。
ブログ(アメブロ)で書いてあることは時には厳しく、けれど優しくシンデレラタイムにちょいちょい見に行くわたしです。
以前、元彼を引きずる友達が、よりを戻すために元彼関連の本を探しゴマブッ子の本と出会い心が折れたと言っていたけれど、本当に沈んでいる人には心が折れる言葉が多いが、彼(彼女?)なりの愛を感じるなぁと思う。
ゴマブッ子さんの本やブログの中には、
*きれい売り
*おはしの法則
*GSPしない
など、共通の単語を頻繁に出す。
書籍類はもちろんまとめサイトなどで簡略に説明されたものを見ると、ああ確かに言っていることは納得できるし、わたし含めてこれらを守れてない人って周りに多いと思った。心に突き刺さっても、よくよく考えたら的を得ているし、男性目線だから妙に納得してしまう。
そんな中、わたしの友達(以下マホちゃん)が共通の知人であるネズとその友達を交えてダブルデートをした。実はマホちゃんはネズの友達が好きなのだ。そのことが気になっていたが本人達にどうなったか訊けずにいたら、ネズから電話が来た。
「どうしたwwなんかあったかww」
『ないっすよww』
そんなやり取りをし世間話をしたら、気になっていたためその時の事を訊いてみた。
『リミさんツレがなマホちゃんにさぁ…』
「なにがあったんだ」
『あの日ねマホちゃんが積極的だったんだ。好き好きオーラ全開なんだ』
そう言いネズはしゃべりだした。どうやらマホちゃんは積極的過ぎたらしい。これはカップルでやるだろうってことをしたい(ハグとかちゅーとかではない)と言ったらしい。人によってはできることかもしれないが、チキンなわたしにはそんなことできないと思ったため(彼氏でもちょっと恥ずかしい)ぶっ飛びっぷりにびっくり。わたしはなるべく会う口実を作ることはすすめたけど、そこまで押せ押せ!は言ってない。
「もうわたしはゴマブッ子推奨するよ」
『誰だそれ』
「ゲイのブロガー。あとでサイトのURL送るから見ろ」
そう言い通話を終えラインでURLを送ると、妙に納得してくれた。そして、男女これおはまもるべきかもねという結論に至った。
それを先日マホちゃんに会った時にやんわりはなした。おはしの法則ってなんだと思う?と質問するがめっちゃいい意味合いの回答をしたため察してくれという気持ちを込めて説明してあげた。
押しすぎたらダメ!石橋を突っ走ってぶっ壊してはダメ!相手がヒクくらい押したらダメ!その願いを込めてゴマブッ子推しをした。
しかし、彼女は…
「わたし周りに積極性に欠けると言われるんだ。だから大丈夫だよ」
と、ニコニコしながら言った。
たぶん、ゴマ様にぶった斬られても気づかないと思う。わたしは何も言えなかった。
ゴマブッ子にしろその他いろいろある恋愛指南書にしろ、金持ちになれない人の特長にしろ、きっと指摘されていることを本人が自覚していないのであれば、いくら周りが言ったって聞く耳を持たないのだと思う。
ちなみにお・は・しの法則とは、
恋が始まりだしたら…
*おしすぎない
*一人で勝手にはしりださない
*しゃべりすぎない
だそうです。
わたしも気を付けよう。
会いたくて震えるし、別れたら死んじゃう人
先日、知人男性である亀ちゃんとその他友人を交えカラオケに行った。
亀ちゃんはすっげーいいやつだが元彼と喋る口調とか似ているから、初めは少し警戒心があった。しかし、元彼と比べてはいけないほどいい人だった。
そんな亀ちゃんはなにげにわたしと音楽の好みが合うらしく、いろいろリクエストして楽しい時間を過ごし始めた。そんな中、友達が西野カナの会いたくて会いたくてを歌いはじめた。
薄暗い部屋でうずくまってなんであの女(新しい彼女)なんだよ!今日は記念日だったのになんでいねーんだよ!もう一度名前呼んでよ!まだ好きなのにぃぃぃぃ!!と言い最後は前髪を切り恐怖を彷彿とされるMVとメンヘラチックの歌詞のあの歌だ。きっと一か月後にはほかの男の手を握り、あの雨の日にバス停でキミに出会わなければまだ他人だったよね。ごめんねも言えない私だけど優しく包んでくれたね。靴下も脱ぎっぱなしだけど好きになっちゃった!的なポエムをSNSで羅列させているような女があの歌の主人公なのだと思う。ってか、一部の女性はあの手の感じだ。なぜならば…
結局女の恋愛は上書き保存なのだから。
ちなみに、草野マサムネとKREVAは会いたいからあなたが会いに来ればいいのにと言う。普段のわたしなら会いたいならお前が来いよと言いたくなるが、好きな歌だからいいとする。
話は戻り、その歌(会いたくて震えるやつ)を聴きながら亀ちゃんに「別れたら死ぬとか言う人って、付き合いたては大好き補正がかかっているから少しはきゅんとくるけど、時間が経っていざ言われたら重いし嫌になるよね」と振ったらすっごく同意される。あら、やっぱこれは誰しも通る道?と思い、つづけて「別れたり危機になったらFBに鬱ポエムを羅列させて、彼(彼女)しかいないのに…もう死にたいとか書いときながら、一週間後には別の人と”永遠に愛してる(ハート)フォーエバーラブ”とか書いたプリクラ載せて○○くん(ちゃん)愛してるとか愛のポエム書きそうだよね」と言ったらものすっごく同意された。
そして、亀ちゃんは昔そんなことあってすっごく大変な思いをしたとつぶやいていたから、きっと彼は想像を絶するような苦労をしてきたのだろう。後日、彼の親友に探ったら言葉を濁しながらもまぁわたしの予想があっていることを認めていた。
その話を聞きいい人どまりになりそうな優しい男って、すっげーめんどくさい女に捕まるんだろうなと思う。そしてめんどくせー女はきっと都合のいい相手を察知する嗅覚に優れているのだろう。てゆかその手の人間はどんな相手でも話を聞いてくれるし、きっと常識の範囲内であればどんなお願いも聴いてくれる。実際に亀ちゃんはそんな人間だ。
優しい人っていいと思うが、それが災いとして時にものすごくデンジャラスな女(男)を引き寄せてしまうのだと思う。きっと亀ちゃんはきちんとした女の子を好きにならない限り、再び別れたら死ぬとか下手したらさらに強烈になって他の女のFBにコメントしたからリスカしちゃった系の女が寄ってきそうだ。亀ちゃんの心が安らぐ恋愛ができることを切に願う。
独女の沼1丁目
気づいたら今年も残すことあと2週間ほどになりました。仕事もあと4日すれば冬休み、それまでに何とか年賀状を作成したいリミです。来週印刷頑張るー!
最近、長年のお付き合いがある友人が結婚することになり市外に引っ越すことになった。10年近く一緒に過ごし、お互いのさまざまな恋愛事件を知っていて、いろいろなところに出かけたので、嬉しい反面少しさみしい…
やっぱ29にもなると周りには既婚者が増え子持ちも増える…FBとか見ると子供の写真がめちゃくちゃフィードに流れてくる。コスプレイヤーだった友人も美しいコス写真から子供の写真をUPする日々…昨日までJKだった気がするのに、なんか浦島太郎になった気分だ。
そんなんで、既婚者が増え始めると自分たちはもうそんなに若くなく、いつまでもゲラゲラ遊んでいる年齢ではないのかもしれないと思い始める。思考が20代前半くらいのままで止まっているが、もう少しは落ち着いた方がいいのかもしれない。
よく、雑誌などでは独身同士でつるまないようにと書かれているけど、あれって本当に真理を得ている!と最近妙に納得。別にアラサー独女達が集まって遊ぶことはいいことだと思うけど、独女だけでのつるみは危険が潜んでいる。
独女たちの生ぬるい環境に甘え、既婚者からの厳しい助言を既婚者は偉そうにーと足で蹴り、あの子は子供を産んでから変わったとかいろいろ愚痴り、若い頃はおしゃれなお店でお酒を楽しむだけで楽しかったはずが…気づいたら愚痴をつまみに女子会と言う名の悪口大会になりそうで怖い。しまいには周囲に毒を吐き、毒女と化しそうで怖い。これって一昔前は彼氏いそうな子は〜とか、やっちまった子は〜との話の内容と似ている。
それに、義務教育のようにみんながみんな自動的に結婚できるわけでもない。あの子が結婚してから考えるだなんて甘えたことを言っていたらダメだ。結婚って大学などの入試に近いものなのかもしれない。付き合う段階など(センター試験・校内選考)で自分にあった男(大学・短大・各種専門)と結婚できるか試し(入試)うまくいけば合格(結婚)できる。みんながみんな自動的にできるものではない。
ちなみにお見合い(婚活パーティー含む)は就活と似ている気がする。自分の経歴を見せて面接をして晴れて採用(結婚)される。だから、結婚は義務教育みたいにみんなが必ず進める道ではない。あの子ができるからわたしも!あの子がしたらわたしも考える!なんて生ぬるすぎる。
別に独女でもひとりの時間を謳歌して楽しむことができればいいことだと思う。結婚や子育てだけが幸せではない。世の中が作り上げた幸せの定義に縛られることなく、自分の中の幸せの定義があるのならそれでいい。
しかし、結婚したいくせに婚活もせず、なんもしないでただ愚痴を延々と言い、できないことをやらないだけだと言い訳をし、定期的に会った時にお互いの傷を舐めあってわたしたちは可哀想な子猫ちゃんだとかのたまっているだけでは決して男は現れない。むしろそんな痛いBBA女たちには近寄りたくないと思う。白馬の王子様がいたってそんな女の元には行きたくない。下手したらダメ男にいいように利用されてポイされて愚痴り傷を舐め合いダメ男のささやきに甘え…無限ループに陥るだけだ。
わたしは今は旅行もしたいし、スポーツ観戦もしたいし、習い事をはじめてみたい。結婚できない女の典型的だし、別に結婚もまだいいかなと思っていたが、このまま独女の沼に飲まれてしまうならとっとと結婚したいと思い始めた。
結婚ができないことの恐怖より、生ぬるい環境で現実を知らずにアラフォーになることの方が今は怖い。
独女沼の底に沈む前に、頑張って沼を脱出したい今日この頃。
言いたいことを言おうとしないひと
わたしの知り合い(男)のブー。魔人ブー系の愛嬌があるアラサー男子。
そんな彼はわたしの友達に思いをはせるが、ちっとも友達に告白する気配もなく、誕生日に某高級ケーキをまるまる買ってあげたくせにちっとも告白しない。告白しなよと言っても、でもだってでもだってでもだって…と言うデモダッテくん。
昨年のクリスマスに家で一人寂しくケーキを食べているとブーからメールが来た。
≪ねー、リミさん今何しているの?≫
<独り身ロンリーだからお家でケーキ食べています。訊くな>
≪ですよねww≫
傷口に塩突っ込むことすんなと思いながらも、なぜかブーの恋愛相談がはじまった。わたしの過去の失敗談である告白できる時にしておけを力説するが、そんなのできない告白できませぇんと言ってくる。するとブーからの不意な文面に驚く。
≪ねー、俺ってさ男としての魅力ない?≫
この事は常に友達と話していた。ブーには男としての魅力がないと。
フェロモンのなさはしかたがないにしても、デリカシーがない所と、ときたま携帯が停止している部分と、美的センスがまったくない部分を目をつぶれば基本いい子だ。彼氏がほしいと言う別の友達にブーを紹介を考えたが、携帯が停まることを考えると紹介することをためらうけどね。でも基本はいい人。
で、わたしはブーから魅力がないかな?というメールが来て戸惑った。いくらブーとはいえ素直にそうだね魅力ないよ!なんて言えない。だからわたしはオブラートに包みまくって思いのたけを返信した。
<イメチェンすればいいんじゃない?とりあえず雑誌買え>
≪雑誌わからないよー≫
<アメカジチックなサファリいいよ。あと20代後半ならゲイナー辺りもいいよ>
≪じゃぁリミさんコーディネートしてよ≫
<都合つけばね。でも、自分でも研究しろ。あと、ダイエットしろ>
≪リミさんもダイエットすればいいじゃん(笑)まぁ、よろしくお願いします♪≫
そうメールをしたブーは夜勤に戻り、わたしはダイエットは明日からだと思い残りのケーキを食べた。味気ないクリスマス。
ちなみに、年明け早々にブーが思いを寄せる友達には彼氏ができた。不戦負けしたブーは大切な試験に落ちた。ブーの友達が『あいつを励ましてあげて』と言ったほどブーには様々な災難が降り注ぎかわいそうだったが…言いたいことを言わなかったブー、いつまでもデモデモダッテじゃ何も始まらない。
けど、ブーに男としての魅力を身につけなと言えなかったわたし。そして、わたしは昔『草野球してるんだ』と言ってきた好きだった人に「草野球の応援行きたいなぁ。ルール教えてよ」と言えなかった過去のわたし。
まぁ、言いたいことはしっかり言ったほうがいい。伝えきれなかった気持ちほど、消化悪いものはないんだから。大人になればなるほど言えなくなることもあるけど、言いたいことはやっぱはっきり言える方がいいのかもね。
30歳でまた行きたい場所
今週のお題「海外旅行」
わたしの初めての海外旅行は20歳の時に専門学校での修学旅行だった。修学旅行の行き先はほぼヨーロッパか国内が主流だったが、わたしの代の担任が『うちの科はライトの落水荘見にニューヨーク行こう!』ということで行き先はニューヨークと、近代建築の巨匠であるフランク・ロイド・ライトが設計した落水荘(カウフマンズ邸/数年前にキューピーのCMで使われてた家)を見に行くためにピッツバーグに。
初めての海外は街並みや行き交う人など全てが新鮮で(今も海外に行くたびに新鮮だなぁと思います)早朝のセントラルパークにサブウェイで行ったメトロポリタン、ホテルから歩いて行ったエンパイアステートなどテレビで見ている名所を巡った。また、チャイナタウンと道路を挟むとある近代的な街並みとのギャップにニューヨークは多民族が住む街なんだと改めて実感した。
そして、日程がちょうどクリスマスシーズンだったため街中はクリスマスカラーに彩られ、点灯式では日本のニュースがよく中継するロックフェラーのクリスマスツリーにとめも感動。テレビで見ていつか見てみたいと思っていたあの光景やあのきれいさは、テレビの画面や写真では伝わらないほど美しかった。
そしてニューヨークを散策したのちに落水荘に行った。飛行機でピッツバーグに行きそこからバスに揺られ田舎町に行った。
長旅の先に見えたのは資料で見たあの落水荘そのもので、ほとんどずーーーーっと変わらないままであろう姿に感動して、きっと建築の仕事に携わったりしない限りもう訪れることがないんだろうなぁと思いながら内部を見学した(物に触れてはいけないため、階段上るの必死でした)
その時の旅行ではとてもいい経験ができたし、偶然立ち寄ったニューヨークの教会でいつか結婚した相手とまたこの場所にきたいと思った。いつかこの場所にまた立つ時には、隣には大切に思える人がいればいいと密かに思いながらそこを立ち去った。
30歳の記念に何をしようかと悩んでいて、記念に旅行をするにしてもボリビアのウユニ塩湖やフィンランドかアラスカのオーロラ鑑賞、エジプトのナイル川クルーズやマチュピチュとナスカの地上絵やスペインなど行きたいところが山ほどある。しかしもし節目に旅行するのなら、20歳の時に行ったニューヨークにまた行くのもいいかも。一人旅になってしまうかもしれないけどね。
いきなりそれは難しい
わたしは普段あまり本を読まない。
一時期は東野圭吾などの本を買ったが、本を買うだけでなかなか読まない。時間がないという言い訳をするわけでもなく、きっと本を買って満足してしまうわたしがいる。ちなみにいうと、ダイエットの本も買って満足するわたしがいる。
まぁ、本を読みたいと思っていたそんな時期…確か21歳の頃にちょっと文学を読める女になりたいと思い、何を思ったのか当時人間失格などの文学が小畑健が表紙の絵を描いたため、すっごい変なノリで買ってみて読んでみた。本が苦手なわたしでも読めたが、どんどんドロドロというか気が重くなってしまい途中で読むのをやめたが(太宰作品好きな人ごめんなさい)その頃は竜馬がゆくや蟹工船なども買ったが途中で読むのをやめた(蟹工船は挫折したけど、竜馬がゆくは買うのがめんどくさくなった人)
そんなわたしなので文学や本よりも旅行の本などをぱらぱらめくったりしている方が性に合うが最近になってやっぱり文学が読めたほうがいいかなと思い、今年の年初めにやっていたオリエント急行のせいでアガサクリスティ作品が読みたくなって本屋で立ち読みしてみると…きっとどこかで挫折するわたしの姿がが見えたからそっと本棚に返した。
この前美容院に行った時に、この事を美容師さんに話してみると『リミさん、普段本を読まなかった人がいきなり高いハードル設定するのはダメですよ』と言われ『もっと読みやすい本がいいですよ。そこからいけばいいっすよ。積み重ねです』と言わ妙に納得した。
運動をしてこなかった人がいきなりフルマラソンをしようとランニングすることと同じように、してこなかった人がいきなり何かをしようとしてもうまくいかないこともある。それに、小学生の頃に本には低学年向き・中学年向き・高学年向きとジャンルが別れていたことを思い出した。
とりあえず、今買ってあるフランス人は10着しか服を持たないを読み切ることにしようと思う。